ミノルタは関西を拠点とする精密機械メーカーです。関西と言えば,どうしても忘れてなら
ないのがたこ焼きです。バブル以降日本の景気停滞を突き破る唯一の隠し玉と言われるのがた
こ焼きパワーだ,と一部では囁かれています。たこ焼きからどのような力がほとばしるのでし
ょうか。焼いている途上はじけた,たこ焼き内のたこの肉が,ほっぺにくっ付くとさぞ熱かろ
う,とは思いますがどんなものでしょう。                       
                                                                   
 それではたこ焼がどのように日本人の心に深く浸透しているか,と言う例を俳句に求めまし
たので,虫の鳴く人恋し秋の夜長にお味わいください。                 
                                          
     たこ焼きを そなえてうれし 名月に                
                                          
 解説は不要と思ひますが,十五夜の夜,すすきと萩が活けられた縁側に1200円分のたこ
焼が,美しく盛られている図を想像してください。その後ろにたこ焼を眺め,月光に照らされ
たたこ焼がこれほどまでに旨そうに見えるのかと,ため息交じりの子供たちが,指をくわえて
いると言うファンタスティックな場面です。                      
                                          
     たこ焼や ああたこ焼や たこ焼や                 
                                          
 これも解説は不要と思ひますが,秋の夜,ゲーテを読むうち,ふとたこ焼が喰ひたくなり,
表通りへ出,たこ焼の屋台を探したがその日に限って見当たらなひので,思わず「たこ焼屋」
と大声を出し3度呼んでしまったという人(青年)の,絶望と希望が交錯する,秋の夜の落ち
葉が目に付く,けやきの並木のせつなさがこれ以上読み込まれた句があるでせうか。    
                                          
 たこ焼きはヨーロッパで例えるとハンバーガーとなり,ハンバーガーを路傍で噛みつくと言
うありさまは,まさに通天閣をシンボルとする大阪文化の生き写しです。         
 このあたりがドイツ人と大阪人が意識しないまでも通じ合う,意識下の共通性と言うもので
はないかと踏んでおります。ドイツ人は自国の壮大にして気宇なゴチック様式の神髄を,通天
閣に感じているのかもしれません(うれしいですね。彼らにしてみればサクラダファミリアも
通天閣も同じに見えるのでしょうか。それともドイツ人が偉大なのか,あほなのか,うれしが
る日本人が善良なるシチズンか底なしのお人よしなのかは,今後の歴史家の判断をまつしかあ
りません)。日本人から見ると通天閣は京都タワーともどもキッチュな粗大ごみと受け取れ,
かなうものなら,根こそぎ引き抜き大阪湾へ放り込みたいと思う人は一人二人では収まりそう
にはありません。まっ,しかし現在はみな一様にそのことは表に出さず,心の奥底深く秘めて
いるのですが。何となれば,近い将来,吉本が日本を統一するに決まっている故に,大阪の文
化にはけちを付けない方が身のため,というのが貧しき者のこざかしき処世法です。    
                                          
                                          
 吉本は今,芸人を国会へ送り込み,そしてまた大阪府知事職へ芸人を仕立てておりますが,
これは手始めで,その内一気に全国を掌中にし吉本と言う国家にならんと言う深謀を抱いてい
るようです。クーデター(あくまでも頭には「お笑い」が付きますが)により来年あたり,吉
本が日本を統一すれば,まず,政府の内閣の人事ですが,吉本の会長が当然総大将となり,自
民党で言えば総理総裁となります。そして内閣の官房長長官は淡路島と大坂城のオーナーを表
明する上沼恵美子。官房長としては始めての女性起用です。大蔵大臣はコメディ#1の前田五
郎,法務大臣は仁鶴,通産はさんし,文部は99の矢部,帽子のおばはん漫才師は厚生省,そ
して目玉の総務庁長官には「目玉」と言うところで西川氏が抜擢されます。しかし,有罪なっ
た相方と芸食をともにしていたと言う仁義的な面で松竹芸能系の野党から猛反発があり,結局
のところ総理が頭を下げ,西川に詰め腹を切らせて笑わせると言う場面も用意されています。
                                          
 吉本総理総裁の記者会見での第一声は「お笑いの,お笑いによる,お笑いのための,おおぎ
り政府」と格調の高さと厳粛さを併せ持つ宣言で,リンカーンをしのぐものとして,国内では
賞賛を集め世界中から笑われます。                          
                                          
 それもこれも,今を去ること三百数十年前,大坂城の外堀が埋まる頃から話は始まり,江戸
時代には由井正雪がこれを受けましたものの,ものの見事に大失敗の巻でした。そして時代は
徳川政権の終焉に向かうのですが,この大チャンスに乗り損ないます。理由は簡単明瞭,由井
正雪でびびったと申しましょうか,前回の大失態でつい臆病風に吹かれたと言いましょうか,
言い方には千差万別,夜空にきらめく星屑ぐらいあるのですが,つい静観に度が過ぎ結局乗り
損う大失態を繰り返したのです。そしてついに今日(「こんにち」と読むことをすすめす),
大坂城残党の末裔はお笑いに名を借り世を欺き,眼を向き慙愧の情念を現し,己の清き志を果
たせないまま,むざむざこの世を去った由井大先生のご遺志を成し遂げるための演目が今回の
大芝居です。と言っても所詮ドタバタ調に終始しますが。                
                                          
 世間知らずで直ぐキレル,わがままぼっちゃんを主君と呼ばねばならなかった赤穂のメバー
達の出入りだって,世を欺くための一力(いちりき)通い,欺くためか趣味なのか疑問は残り
ますが,この話と似ています(最近は直ぐキレル人を「瞬間湯沸器」と表現するようで,聞い
たときいたく感心してしまいました)                         
                                          
 赤穂の親方の「一力通い」に相当するのが今回は「お笑い」であり,お笑いの皮をかぶった
狼といったところです。秀吉の末裔ですからお笑いの皮をかぶった猿ですが,これでは締まら
ないのでここはやっぱり「狼」でいきたいのですが,しかし,ここはまじめにダンス・ウズ・
ウルブスとかローン・ウルフ,渋いところでは「ジャッカルの日」の作者フレデリックフォー
サイスの「群れた豚より,やせた狼でいたい」とウルフの孤独な崇高さ残忍さを吉本にくれて
やるのは残念で,猿,狼にかわる的確な動物を探すのですがどうでしょうか。       
                                               
 さて,国名は民主興行立国吉本国というのが正式名として国連に申請されますが「ニッポン
がキッポンに変わっただけだと誤解する各国代表は確かに多かった」と政府関係者(きんし)
はこぼしていました。しかし,民主とは名ばかりでしばらくすると,松竹系野党は解散に追い
込まれ,独裁化,と言うよりお笑い化していきます。そして終盤には松本ひとしが君臨し,ヒ
トラー化しどこまでも大阪人とドイツ人の悲しき性(「さが」と読んでください)が現れると
言うことになります。                                
                                          
 このように,これからの我が国の歴史を占うと,大阪人の魂とドイツ人の魂はどこかで強く
結ばれ,この伏線が現実化したのがライツ・ミノルタでもありました。これこそ,ドイツ人の
心のふるさとであるゴチック様式と,大阪人の心のふるさとである通天閣との,ハーモナイズ
した結晶の花とでも言いましょうか。もう少し難しく言い換えるとハンバーグとたこ焼きを酢
で和(あ)えたものとでも言うのでしょうか。                     
                                          
 さて,どうも論調が朝日新聞の社説にせまる勢いとなって参りましたが,論旨をもどしまし
ょう。                                       
                                          
 ミノルタがリールを製造していたと言う嘘のような実話,実話のようで嘘っぽい話は例えば
UFOに限定しますと,どうも10中9までが嘘と言われ今回もその定理を援用するな「嘘っ
ぽい」となりますが,いやいや「事実は小説より奇なり」とも言い,嘘こそ誠(「まこと」と
お読みください),誠は嘘に始まり嘘に終わり,嘘は誠に始まり嘘に終わる。要約すれば嘘も
誠も共に,嘘に終わるというのが世のならい。と平家物語で真理と無常は説かれたところです
。                                         
                                          
 ですから平家物語当たりを基盤として考えますと,今回の事実は嘘であるが実は本当である
ということになりましょうか。                            
                                          
( この話はフィクションです、登場する会社、団体及び個人は架空の物です。)

                           上 林 春 生        



戻る