祖先あれこれ

そ の 参


当時の新田石田は港屋町寄りと安治川沿に集落が集まりて、後

の石田町より八幡築港にかけ大湿地帯だった。       

農地は森岡家、那須一族、外村土地が支配して小作の人達は、

全て賃貸地だった。                   

森岡家に於ける祖父は、文盲の多かった人達に代わり、役場へ

の書類や子供の名付け親等、集落では貴重なる存在だった様だ

又、無精卵の仕分けが名人で、近所より卵を持つ人達が、門前

市をなす事があったと云う。               

いつの頃からか、同家で働いていたウメさんと世帯を持つ事に

なる。                         

外村土地より二町余を借り自作の西瓜農家として出農す。  

その生活は、初めは苦しかった、子供が多く市場の評価を得る

まで何年もかかる、後半は大和西瓜か新田西瓜と有名となる、

子供達も大きくなり、その労働力で着実に成果が上がる様にな

る。                          

新田石田の草創期は、今時に考えると馬鹿げたお話も信じられ

ていた、タヌキ、キツネ、カワウソ等にまつわる事が限りなく

あった、又、西瓜畑の周囲は、掘割水路で囲み小船を使い往復

する、その掘割が魚の養殖池を兼ねていたわけで、当時として

は進んだ方法で、その権利を森蔭家が持っていた、相互共存共

栄と云う事です。                    



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