祖先あれこれ

そ の 弐


大祖父が坂姓より南條姓に変えた理由を推理する。      

最大の理由は大垣藩の弾圧だったと思う、慶応四年の正月より 

始まった戌辰の役、鳥羽伏見の戦で大垣藩(十万石戸田采姓) 

は会津、桑名軍と共に薩長軍と対戦す。           

その初戦は優勢だった、二日目に突然大垣軍は戦場を離脱する、

其の日に天皇より討幕の錦旗が下付される、現況を分析して将 

来性のある勤王派と徳川三百年の恩に報いたいとする佐幕派と 

真っ二ツに分かれ、昨日の盟友が今日の敵となる両派に分かれ 

た大垣軍は、その後宇都宮、北越、会津、五稜郭と最後まで悲 

劇を繰り返す事となる。(歴史書により証明)        

一大転換期に際して読みを誤ったと見る人もある、私はあえて 

報恩の道を選んで義に殉じた祖先を誇りとすべきと思う。   

故郷安八では、官軍の命か藩命か何れかの圧力で、数度に亘り 

大点検がなされる、其の都度田地田畑を召し上げられる。   

又、坂姓を使う事が即賊軍と云う、予想せぬ方向へ世の中は一 

変して行く、その前後に名前が変わったのではなかろうか。  

色々と迫害にあった一族は、新天地を求めて四散する、此の間 

に大祖父は二度帰宅している、昼間は井戸の中でひそみ、他と 

の接触をさけ又、何処へか去る。              

其の後、各地を転戦して、最後まで義に殉じたものと思われる、

幕府軍参加者への大赦があるまで伝馬町の牢中にあった。   

大赦と同時に二年あまりの牢生活より開放される。      

故郷へ帰るも無一文となった、余生を多数死んだであろう同族 

の菩薩のためか、人を信じる事が出来なくなったか、妻子を帯 

同して諸国行脚の旅に出る、そして終焉の地が未ださだかでな 

い、その途中どの様な関係があったか、新田石田の森岡家へ子 

供二人(宗衛・治衛)を預ける。              



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