祖先あれこれ

そ の 壱


私達の祖先は、岐阜県安八郡その昔美濃国大井庄と云い荘園

時代は、奈良東大寺の荘園だった。           

中部地方有数の穀倉地であり、又木曽川、長良川、揖斐川の

大河に挟まり常に水との戦いでもあった所です。     

之の地に氏を起こして、何代続いていたかは判然と致しませ

んが、代々坂利右衛門を名乗り安八十ケ村の大名主で苗字帯

刀の身分でした。                   

その子供達より、姉娘は三条家・妹娘は九条家に出仕し、当

時上下の厳しい体制下にあって公家との交わりを持っていた

事は、地方豪族としては、上位にあったと思われます。  

大祖父は、剣道の達人だった様で、常に三尺の大太刀(旧軍

隊で私の持った刀が2尺2寸7分)を使い、周辺の若い人達

に読み書きを教え、望まれれば剣の道を指導等、その人柄は

近隣に響き人望は、極めて厚かった。          

屋敷の周囲は、二十町あり用地の周りを高い塀を以て巡らし

て、外塀に沿って堀があったと云う。(実戦的な濠なり) 

近郷近在では、利右衛門屋敷と呼ばれていた。      

正門を入り作業広場の正面に、一段高くなった所に母屋が有

り、右側に作男三十数名の宿舎三棟、左側に倉二棟、その前

に雨天時の作業家が三軒、屋敷内の空き地はすべて桑畑だっ

た。                         

取秋の頃は、まるで戦場の様に忙しく、小作よりの上納米が

倉に納めきれず野積みだったとか、仕分けされた上納米を、

お城へ運ぶ行列が長く長く続いたと云う。        

之の時代に、祖父宗衛は生まれる(弘化二年)、正に日本歴

史上に於いても波乱万丈の年だった。          



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