作:上 林 春 生



魚からの一筆啓上です。                    


 キャッチ アンド リリース 縮めてC&R。捕っては放し,釣っては放す
。原因を作っては自分で収束さす。マッチポンプ的行動で「人間の,人間によ
る,人間のための」アクション。最後は残念ながら「魚のための」ではないか
と思われるが,釣るためのリソースを枯渇させないために,と言うことが目的
であるから,ここは「人間のための」で,間違いないのである。ここには少し
でも魚側に立って見ると言う視点はない。ここには,魚は人に釣られて当然,
と言う人間の思い上がりが見え隠れしている。のではないか。と,なぜかここ
に来てトーンダウンしてしまう。                    

 なぜなら,アメリカでの人種差別。ノーマン・ジェイソン監督の映画「夜の
大捜査線」に,黒人に人権などあるはずがない,という農園の白人オーナーが
描かれていたように,農園主にとっては黒人に人権があるという意外性,また
それを敢えて唱えた結果は凄惨なリアクションが待ち受けていたのだ。魚にだ
って生物としての権利がある,と宣言した場合その意外性から,かってのアメ
リカ南部と同じリアクションが帰ってくる,と考えてしまうからかもしれない
。                                  

 捕っては放し,放しては捕る。そしてまた放す。この際限の無い堂々巡りを
指して残酷と誰が言ったか知らないが,残酷が今日生き生きと輝き出すのはま
さにこの瞬間を目前にするときではないだろうか。            

 キャッチ&リリースで自然の守護神を気取るのは時節柄近道であり,釣り人
の美しい姿でもあり,自然に融合した姿と言えるかも知れない。それは夏のビ
ーチでのビーチサンダル履き姿,冬のチベットでのイエティ(雪男−ゆきおで
はない,念のため−),秋のレコード屋でのモンタンのレコードジャケット,
春のお白州での人肌の桜吹雪と同じ様に違和感はない。          

 しかし,釣り人の美しい姿とは人間側から眺めれば,と言うことであって,
こちら側つまり,魚側から見ればこれほどうとましいことはない。魚類の悲劇
は人類として生まれず,魚類として生まれたことに始まるというのが我々の共
通項なのです。生きとし生けるものとして魚も人も同列の観点からすれば,「
魚・人権」とか言うやつを一方的に無視した無謀は他にありましょうか。  

 何の因果か,口を引っ掛けられ,強引に引き回され,水中から上げられ,唇
に突き刺さった針を引き抜かれ,柔らかい唇周囲の肌を破られ,何が何だかわ
からない内に再び水中に放り込まれている。これがキャッチ&リリースと言う
もので,人類が釣りを始めて以来数万年おびえ続け,その影響が今我々の生態
に変化をもたらしている。                       

 人間は我々の解剖学的な変化,例えば,浮き袋の小型化,男性生殖器の女性
化等を指して,環境ホルモンが原因としてリポートされているが,環境汚染だ
けが原因というものではなく,数万年にわたる人類からのいわれの無い無差別
的攻撃がその原因のおよそ63%を占めることに気がつかない。      

 浮き袋の小型化はすなわち,沈めば二度と浮かばれないことを意味し,生殖
器の女性化は男性魚類のゲイ化を暗暗裏にほのめかすことである。これからの
竜宮では乙姫だけでなく甲姫,丙姫,丁子に混じって姫太郎の接待を受けるこ
とになると言っても言い過ぎではない。                 


つづき